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2014年5月

2014年5月27日 (火)

 玉ちゃんの独り言 第31回「憲法9条なんて知らなくていい! +α(美味しんぼ)」

           

 当初、今月のテーマは「美味しんぼ」問題で、タイトルは「風化と風評」の予定だったが、あまりに小学館編集部のやり口が見事に思え、執筆意欲が削がれてしまった。BCスピリッツ25号では、「美味しんぼ 第604話 福島の真実24」の後に、識者、自治体からの意見や抗議が16個添えられていた。大別すると、批判・抗議等の否定的なものが9、擁護・肯定的なものが4、中間的なもの3となる。このバランスが実に憎い。否定的意見を肯定のそれより倍以上載せることによって、小学館の姿勢が決して原作者・雁屋哲氏寄りに偏っていないことをアピールして、福島バッシングは雁屋氏個人の思想信条に被せ、自身の責任を上手く回避している。その証拠に「編集部の見解」の記事だけでなく、誌面のどこを取っても、謝罪やお詫びの表現は見当たらない。それでいて売り上げは、前号の時点ですでに5割増し、25号に至っては発売日の午前中だったにもかかわらず、4件目でやっと買えたくらいの売れ行きである。陰で編集長はほくそ笑んでるのではないだろうか。「美味しんぼ 福島の真実」に書かれていること自体には、今更あまり論評する気が起こらない。首長や与党の政治家が怒るのは立場上当然だが、福島県民がすべて否定的でないところに、この問題の難しさがある。つまり風評被害拡大阻止を取るか、風化を防ぐため事を荒立てるか、どちらにしても傷付くのは罪のない被災(害)者たちであり、東京電力や(自民・民主両)政府といった加害者たちではない。雁屋氏が自身の主張を過激かつオーバーに描くのは毎度のことで、第1話からの読者からすれば、別段驚くべきことでは無い。何せ、日本に嫌気が差し、一家で日本を捨てオーストラリアへ移住した前歴を持つ氏のことである(実は、とある風評問題を恐れてという噂もある)、福島から逃げ出せという発想は、それほど突飛なことではないのであろう。むしろ、福島の農家の風評被害の実情を丹念に描いてることで、彼の中の帳尻は合っているのかもしれない。だが、問題が問題だけに、マスコミも飛びつき、これだけ大事になったと言える。もしかすると編集部では、それも想定内で、マンネリ化したかつての人気漫画と大物作家を切りたかったのかもしれないというのは、あまりに穿った見方であろうか? 「美味しんぼ」休載が短期になるか、限りなく無期限になるか否かがこれから見ものである。ただ、一つだけ放射線の専門家から聞いた話を付け加えるとすれば、放射線被ばくの人体への影響は鼻より先に目(白内障的症状)に表れるものらしい。例の元町長は、目の症状など何も語ってなかった上、「3/11の前に政府・東電は津波が起こることを知っていた」等の突飛な発言などで地元でもあまり評判の良くない人物であることを考え合わせれば、漫画という創作物の内容の真偽をあまり事細かに論じるのも意味がないように思われる。むしろこれを問題提起とし、政府・東電はまだ何かを隠しているのではないかとマスコミがどんどん突っ込んでくれることをちょっと期待したのだが、今のマスコミにそこまで期待するのは無理だったようだ。たった1週間なのに、今や「美味しんぼ騒動」そのものが風化してしまっている。だが、決して風化させてはならない問題が他にもある。

 さて、またまた、また集団的自衛権問題である。  安倍首相は、テレビでの会見で、パネルを使って集団的自衛権の必要性を説明した。と、思った人はめでたい御仁と言わざるをえない。ちゃんとしたニュース解説まで見れば、彼の演説の半分が集団的自衛権とは別のこと、つまりいわゆるグレーゾーン問題とPKO時の駆け付け警護等集団安全保障問題であったことは、はっきりしている。そしてそのどちらも公明党も国民の多くもそれほど反対していないので、首相自らパネルで説明する必要など始めっからなかったのだ。では何故わざわざ? その二つと集団的自衛権がまるで一体のように国民に思わせるために相違ない。集団的自衛権なしには日本は守れないのだと。平和の党を標榜する公明党は、先の二つと集団的自衛権は別問題だから切り離して論議するべきと唱えているが、この当たり前が自民党には受け入れられないのだ。せっかく首相が上手くリンクさせてくれたのに、ここで分けてしまえば集団的自衛権が、ただの戦争したい権利のように思われてしまうからだ。  ついでに、集団的自衛権の必要性で述べられたことについても触れたい。まず、近年の中国の軍事的巨大化と暴走気味な海域支配欲は確かに危険な香りがするが、中国が本気で日本領土(尖閣諸島も含む)に攻め込むことはありえないと言って構わない。日中も米中もそれほど深く経済的に結びついている。アメリカが集団的自衛権などで尖閣のために中国と本気で戦う可能性もゼロである。米国債の最大の買い手と落ちぶれかけているかつての世界第2の経済大国を秤に掛けるまでもないことなのだ。だからこそ中国が使ってくる手の込んだ挑発に対してグレーゾーン事態の対応は必要になってきているのだが、日本以上にアメリカは中国とは戦う気が無いので、対中国に集団的自衛権の出番などどこにもないと言い切れる。  北朝鮮の場合は少し違ってくる。世間知らずの若者が治める今の北朝鮮はかなり危なっかしい状態にある。軍部の暴走の可能性も否定できないし、クーデターもいつ何時起こっても不思議ではないであろう。だから、もし北朝鮮からミサイルが飛んでくることになれば、その目標が仮に米軍基地であろうとも、明確な対日攻撃であり、それに対する反撃は個別的自衛権の範囲内である。一方、朝鮮戦争は休戦中であり今だ終結していないので、明日韓国領土が戦場になっても不思議ではない。その時在韓邦人の命をいかに救うか、ここが問題となってくる。例えどんなことが起きようとも韓国は、日本の軍隊(もちろん自衛隊)が朝鮮半島に上陸するのを許さないと言われているので、集団的自衛権が行使可能でも日本がアメリカと共に陸上で戦うことはありえない。したがって在韓邦人の帰国のための輸送が米軍の飛行機あるいは船になる可能性は大いにあり得るだろう。その際、首相がパネルで説明した通り、日本の民間人を乗せた米軍艦が狙われる可能性はゼロとは言えまい。ただ、もしそこで北朝鮮が日本の民間人が乗っていると知った上で日本に向かう米艦を攻撃するとすれば、それは日本への宣戦布告であると、すべての日本人は思うはずだ。よって、またまた個別的自衛権の問題であり、集団的自衛権の出る幕ではない。首相の私的諮問会議・安保懇のメンバーや石破幹事長が、個別的自衛権の拡大の危うさを懸念していたが、そんなものは集団的自衛権の危険性の前には無いに等しいと言っては過言ではないと思う。つまり日本の周囲のアジア内で集団的自衛権が必要となるシチュエーションはほぼ存在しないように思われる。首相は、たとえいかなることがあっても自衛隊は湾岸戦争やイラク戦争のような戦争には参加しないと言って胸を張っていたが、元々湾岸戦争やイラク戦争は多国籍軍を組織した戦争であり、アメリカ個の戦争ではない。集団的自衛権の出番となる戦争はアフガン戦争なのだ。首相がここに触れなかったのは、当然意図的で、湾岸・イラク戦争不参加を声高に叫んだのは限りなく狡猾な説法であった。幹事長が漏らしたように、地球の反対側で戦争する可能性は、決してゼロではないのである。と言うより、世界の隅々にまで日本の軍隊を派遣できるようにすることこそが、実は本当の目的ではないのか、との説もある。それと武器の輸出(既に安倍政権は今までの枷を撤廃した)のセットが、国連安保常任理事国入りの隠れた条件であると。もしそれが本当ならば、政府は堂々と我々国民に問うべきである、今まで通りの戦争しない国か常任理事国かと。  日本国憲法は、11章103条で構成されている。ちなみに第1章は「天皇」で1~8条まである。だが、第2章は、9条ひとつである。9条の条文は、確かにわかりにくい面があり、そこが解釈の幅を拡げる原因ともなっている。だが、第2章のタイトルは、シンプルこの上ない。「戦争の放棄」たった5文字だ。誰でも覚えられる。戦争を個人の喧嘩に置き換えて考えれば、解りやすい。暴漢から自分の身を守る行為を、人は喧嘩とは呼ばない。だが、友人が喧嘩している時、そこに入ってゆき暴力を振るえば、それは喧嘩に加わったことになる。集団的自衛権が第2章「戦争の放棄」に反していることは明白なのだ。それでも、もしかすると将来どうしても集団的自衛権が必要となる悲しい時代が訪れるかもしれない。その時は国民投票で憲法を改正する、それが政府の義務であり、国民の権利なのだ。

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