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2014年4月29日 (火)

玉ちゃんの独り言 第30回「限定的集団的自衛権案にもの申す」

           玉ちゃんの独り言 第30回「限定的集団的自衛権案にもの申す」
 

 またこの話題かと飽きられているかもしれないが、最重要問題なので、しつこくても勘弁して頂きたい。戦後GHQの命によりやむおえなく警察予備隊が出来て以来、自衛隊にとっても、我々国民にとっても、最大の変革が国会承認さえ経ないで行われようとしている。与党公明党はもちろん自民党の中にも反対の声があるため、こんな大事を閣議決定だけで済ませようとしているのは、姑息と言う他ない。国民世論でも反対の方が多いため、民主主義の基本原則である多数決を無視して、わずか十数名の総理大臣が選んだ人間だけで決めてしまおうというわけだ。集団的自衛権の内容に関して、対象となる友好国はアメリカだけではないと、本音を漏らしてしまい批判された首相が、起死回生の策として考え出されたのが、今回の限定案である。首相ブレーンか役人か、誰の発想かは知らないが、反対派の小生も感心してしまう程いいアイデアである。この案の素晴らしい所は、色々な高いハードルを同時に下げられる点である。まず第一に、公明党に対して。立党以来平和の党を標榜してきた公明党にとって、集団的自衛権は決して飲めない劇薬のはずであった。おそらく執行部も連立離脱さえ視野に入れながらの折衝となる予定だったであろう。この限定案で公明党が妥協するのかどうかはわからないが、公明党の中の右派勢力にとっては、大歓迎であるに違いない。もし池田大作氏の目が黒かったなら、迷わず連立離脱を指示したに違いない。好きな人物ではないが、今は日本の将来のため、元気でいて欲しい気がする。第二のハードルとは、国民世論とマスコミに対してである。限定案では、日本から遠く離れた諸外国の領土上の戦闘には加わらないこととなっている。これを言葉通りに解釈すれば、湾岸戦争やイラク戦争、アフガニスタン攻撃には参加はできないということになる。だが、推進派の本音がそこに無いことは、石破幹事長の発言でも窺える。つまり今回の目的は、とりあえず国民や反対派識者の不安感を解消することに尽きるのである。最後のハードルは、そしてこれが最も重要なのだが、本来憲法改正でしか行えないはずのこの事案を、解釈変更だけで突破しようという憲政史上の暴挙に対してのイメージ戦略である。「そんなに大きな変更でもないのなら、まあいいっか」という気分にさせるテクニックである。だがひとたびこれを許してしまえば、その時々の政権によって、自衛権の問題はもちろん、全ての憲法上の制約を次々と変更することも可能になってしまうのだ。仮に一度目は限定であっても二度目は無制限かもしれない。解釈変更を閣議決定で行うことの危険性は計り知れないものがある。憲法学者でなくても、集団的自衛権行使が憲法違反なのは誰の目にも明らかだ。そしてそもそも憲法とは、時の権力が暴走するのを防ぐため、国民が持つ自衛のための唯一の武器なのである。従って憲法が、暴走を図る政権にとっての足枷となるのは当然のことなのだ。その足枷を外すことに協力するのは、国民主権の自殺行為に当たる。憲法改正そのものは、決して悪いことではない。時代にそぐわなくなった部分を改めるのに大反対する人は、そんなに多くはないだろう。小生とて、憲法改正そのものに反対しているわけではない。問題なのは、憲法の精神に逆らってまで、政権が自身の主張を押し通そうとしていることにある。これはまさに立憲主義への反逆と呼ぶべき暴挙と言わざるをえまい。日本の憲法が国際的に高く評価されているのは、憲法9条の存在故に他ならない。第二次大戦の反省を踏まえて作られた現憲法は、世界に類を見ない平和憲法であり、同時に日本の復興と国際的地位の向上に多大なる貢献をしてきた。現在アジアの国々に日本が信用されているのは、この憲法あればこそである。小生とて、憲法9条に、自衛隊の存在を明記することに異論はない。今の自衛隊は、平和憲法の精神に反することのない存在であるからだ。だが、首相が名称変更を望んだ「国防軍」はその名称もその目的も、憲法違反に当たるのは間違いない。今はとりあえず羊の皮を被って見せて、一回でも解釈変更に成功した途端、それは徐々に獰猛な狼へと変貌していく恐れが今度の限定案には見え隠れしているのだ。集団的自衛権を推し進めようとしている人々にとって、その必要性を訴える有効な論点と言えば、PKOの問題かもしれない。日本の自衛隊がPKOに参加した際、一緒に行動している外国軍隊が攻撃された時、一緒になって反撃参加が出来ないことが、日本のPKO活動の範囲を狭めている点である。確かにこれには、違和感や一種の矛盾を感じたりするのも仕方ないが、そもそも戦争を否定する平和憲法を持つ国が戦場へ赴くことこそが間違いの元なのである。PKFが憲法違反で無理とされた当時の自民党政権が、無理にでも自衛隊海外派遣の実績を作る為の大義名分としてPKOを利用したに過ぎないと言えば、言い過ぎであろうか。だが、もしそこにどうしても答が必要と言うのなら、公明党幹部が述べている個別的自衛権の解釈変更で可能との案の方が検討に値するだろう。好戦的右派の方々が、いつも揶揄している「一国平和主義」に世界で異論を唱えている国、日本の軍隊が強大になることを望む国は、果たしてどれだけあるのか? もちろん、それによって軍事費と米国兵の死者数が減らせるアメリカは歓迎することであろう。だが、そのアメリカでさえ一枚岩ではない。現在のアメリカでは、その軍事的在り方に疑問を呈する人々も少なからず存在するのだ。そして普天間基地グアム移転を阻んでいるのは、アメリカ政府ではなく、実は永田町と霞が関であることも次第に明らかになって来つつある。日本が集団的自衛権行使に踏み切れば、確かにアメリカは喜ぶかもしれない。そして次々とステップアップを要求することであろう。この流れは、郵政民営化でもTPOでも証明されている。アメリカが自国の国益のために都合のいい要求を日本に押し付けるのは毎度のことだから。そうなれば外圧を理由に、推進派は自衛権行使の範囲をどんどん拡大していくことは目に見えている。今、いくら範囲を最小限にまで狭めても、そんなことには何の意味もないのだ。昔も今も権力とは、時に国民を騙すものである。その唯一の盾となる憲法を解釈変更で変えてしまうのは、戦争以上に危険で恐ろしいことなのだ。




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