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2014年3月

2014年3月31日 (月)

玉ちゃんの独り言 第29回「第二釦と割烹着」

                   玉ちゃんの独り言 第29回「第二釦と割烹着」

 今月は珍しく文学的タイトルを付けてみたのだが、タイムリーな話題なので、内容は大体見当が付くことと思います。  さて予め断っておくが、小生はおしゃれな人間ではないし、服屋の倅として生まれ育った弊害で、洋服への関心は他人より低い方だと思う。だが、飲食店を営む者として、何よりも清潔(感)に重きを置いているので、アルバイトの女子従業員に対しても、身だしなみには厳しい方だと思われる。某有名ファミリーレストランで、制服のズボンを「腰履き」している従業員(若い女の子で「見せパン」状態で働いているの)を見てビックリさせられたことがあったが、ウチなら即クビ!というより、上司店長を処分するに違いない。普段の日常(「私」。別の社会学では「ケ」)で、イマドキの服装をするのは個人の自由かもしれないが、職場という「公」(同様社会学では「ハレ」)の場で、だらしない恰好をすることは、許されないというのが、本来社会の掟なのである。このように述べると、時代錯誤のようでオーバーだと思われる向きもあるかもしれないが、昨今の服装、マナー、言葉遣い等の乱れは、日本人全体の民族的レベルの低下の結果でもあり、また要因でもあると思われるからなのだ。  

 まず「第二釦」の方だが、これはとある記者会見についてである。自称作曲家のS氏の謝罪会見をテレビで見た際、彼は第2ボタンを外していた。正式な謝罪会見であれば、常識的にはネクタイ着用が当然である。百歩譲ってノーネクタイを許すとしても、第1ボタンも留めるのが、誠意ある謝罪態度というものだ。にもかかわらず、彼は、第2ボタンも外していた。まるで芸能人がおしゃれして見せるか、スーツでナンパするホストの如く。考えてみれば、芸能人の仕事もナンパも、相手に自己の魅力を過大視せしめる一種の詐称行為と云えなくもない。どちらにしても、第2ボタンを外し、胸元を見せるのは、これから相手を騙す場合の服装と言っても過言ではないだろう。S氏の会見内容については敢えて言及を避けるが、テレビの音量をゼロにして、聴覚障害者と同じ立場で、あの画面を見てみれば、彼が謝っているのか、更なる嘘を述べようとしているのか、その姿・表情だけで余りに多くのものが伝わってくるのである。彼が行ったことがどの程度悪いことなのかは、ここでは問題ではない。服装の持つ意味が今月のテーマなのだから。  

 「割烹着」が誰を指すか? これは簡単であろう。今日本で一番バッシングされている人物なので、敢えて彼女の行った(とされる)行為を糾弾する気は小生にはない。ただ結果論ではなく、最初の大発見会見の報道時に、ある種の違和感を覚えたのは、小生だけではないはずだ。まず、若過ぎる。ルックスも化粧やアクセサリー服装トータルで良過ぎる。研究者がおしゃれでいけない理由はないが、これは並みの発見ではない。世界中の名だたる科学者たちが、寝る間も惜しんで競っている超ノーベル賞級の研究なのだ。O女史くらいのキャリアの人間がこのような歴史的大偉業を成し遂げ得る可能性は二つしかない。ひとつは彼女が百年に一人の大天才であること。だがこれは、彼女の経歴を見れば、残念ながら違うという他ない。もうひとつは、偶然に偶然が重なった結果の、まさに奇跡。多分後者だと報道を見て小生も自分を納得させた覚えがある。もちろん、結果はそのどちらでもなかった訳だが・・・ 更なる服装の違和感が「割烹着」である。確かに割烹着は手術着と似ていて、体の正面に飛び散る物を防ぐことができる。ただ家庭の主婦用の料理着なので、白衣より生地が薄いのが欠点であり、実験向きではないと思われる。もし割烹着が実験に最適な服装であれば、既にそれ用の研究者用制服が作られているはずである。そう考えれば、彼女の割烹着スタイルは、ファッションの可能性が大きいと言わざるを得ない。前述のS氏同様彼女の場合も破綻の暗示は既にあったのだ。ついでに言えば、今回被害者面をしているY大教授だが、共同執筆者である以上、何らかの責任を負うべき立場なのに、パーカー姿で記者会見に臨んでいるところに、彼の緩さ・脇の甘さを感じずにはいられなかった。事の次第は、今日現在の時点でまだまだ不明なので、この問題も内容に関する推論・論評は避けたい。あくまで今回は服装がメインなので。

 日本語の乱れが話題になってから相当な年月が経っているが、それが是正されることのないまま、かえってエスカレートしているのが現状であろう。礼儀・作法の低下に至っては、更に深刻だ。小生は仕事柄、最近正しく箸を使えない大人が増えているのが残念でならない。たぶんその原因は我々壮年世代にあると思われる。我が親世代は結構家庭教育にも躾にも厳しかったので、その反動なのか、今の壮年世代は子供に対して成績重視で、躾が甘かったのではないだろうか。その子供世代が現在親なのだから、当然その孫世代への躾は更に緩いものとなっていくのが必然である。モンスターペアレントも、この「ゆとり躾」の産物に相違ない。敗戦後の日本のスピード復興と、その後の経済成長の最大の原動力は、日本人の勤勉さと器用さであると言われている。資源を持たない国が成り上がるには、技術立国として生きていく他なかった。箸文化がその日本人の知能の高さと器用さを育てた要因のひとつであることは疑いようがない。だがこのままでは、箸を正しく使える日本人が世代を経る毎にどんどん少なくなっていくことであろう。バブル崩壊後、リーマンショック、大震災を経て再び日本が返り咲く可能性は、残念ながら現在のところ小さいと言わざるを得ない。だからと言って、戦前の修身や現在政府が推し進めている道徳教育には、疑問を感じる点が少なくない。要は、日本人として当たり前と言える最低限度の躾を家庭が施し、小学生くらいまでの情操教育を普通に行うことが大切なのである。

 話を服に戻せば、和食業界では、名のある店の料理長は必ず白衣にネクタイをしている。夏の厨房はとても暑いものだが、決してネクタイを緩めることはない。洋食の場合、着た人でないと分からない程コックコートは分厚く暑い。それでも料理長たちは第一ボタンを外したりはしない。もしかすると、それはただの痩せ我慢かもしれない。が、相手(お客様)に対する姿勢の真摯さとの表れに他ならないと小生は信じている。小生とて、他人に偉そうなことが言える程杓子定規に真面目でも、自己に厳しいわけでもない。ただ今日も真摯たらんとネクタイを締めているのである。  今日もさまざまな事件が報道されているが、幼い時に正しい躾が施されていれば、その何分の1かの犯罪は起きることが無かったとだろうと言えば、言い過ぎだろうか?

  とりあえず、「先ず塊より始めよ」である。己への自戒も含めて。

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2014年3月 2日 (日)

玉ちゃんの独り言 第28回「運と実力」

                 玉ちゃんの独り言 第28回「運と実力」


 
  これを書いているのは、ソチ・オリンピック真っ最中、浅田真央選手(以下、選手の敬称省略お許し下さい)が転倒し、メダルが絶望的となった日である。小生の予想で彼女は銅メダルだった。金ではない理由は、彼女はオリンピックの運に恵まれていない選手だと思っていたからだ。よく「運も実力の内」と言われるが、小生は少し違うと考えている。かつての「独り言」で、首相になる条件として、運が必要と書いたが、運だけを持っている人が、真の実力者とは言えないのと同様に、運は持っていなくても実力のある人は、どの世界にも存在するのだ。ただ、ここ一番の大舞台にその実力を発揮し切れない、俗にいうプレッシャーに弱い人がいる。だが彼らは、実に様々なプレッシャーに耐えてきたからこそ、素晴らしい実績を残したのであって、決して精神的に弱いわけではない。少なくとも我々凡人には耐えきれないような重圧のかかる場面を乗り越えてきた強い精神力の持ち主達なのだ。いかしそれゆえ、自らそのプレッシャーを大きくしてしまう性格の人が中にはいる。浅田真央しかり、高梨沙羅しかり。共通していたのは、金メダル以外は許されないような周囲の過剰な期待と、幼いころからマスコミに注目され、10代後半にしてそこらの大人より出来たコメントを述べていた点だ。曰く、「お世話になった方に恩返ししたい」「声援してくれる人達に応えてられるように頑張りたい」等々。アスリートとしては、もっと自己中心、我儘で良かったのに、いつのまにか、周囲の大人たちが喜ぶような「いい人」にならざるを得ない状況に追い込まれたと言っても過言ではないだろう。卓球の福原愛などもランキング1位になってから、なかなか全日本チャンピオンになれなかったのも同様であると思われる。大リーグで言えば、高校時代に過剰に騒がれた松井秀樹がこのタイプであろう。一方無名だったイチローは、愛想が無くマスコミ泣かせで有名だが、結果は断トツに残している。天才児を天才として大成させない日本の体質は、何もスポーツに限ったことでは無い。過剰にプライベートにまで入り込むマスコミや平等第一の教育、そして何よりも日本人の周囲を気にし過ぎる個人としての弱さ(集まれば長所にもなるのだが)、それらすべてが、日本人の個としての壁を作り出しているのであろう。オリンピックに話を戻せば、岩崎恭子や鈴木大地、1回目の北島康介などなど、金メダルを取る前は、普通の人として暮らしていたはずで、それほどの重圧の中オリンピックに臨んだわけではないはずだ。今回金の羽生結弦にしても半年前に彼の名前を知っていた人が、どれだけいたことか。今シーズンが始まるまでは、金メダルはパトリック・チャンで仕方がないと誰もが思っていたはずだ。3年連続世界チャンピオンのチャンのプレッシャーは、誰よりも重かったに違いない。ぽっと出の羽生に油揚げをさらわれた彼こそは、運がなかったとしか言いようがない。一方、ミスしても勝っちゃう羽生結弦の強運ぶりは見事という他ない。もし、浅田真央が岩崎恭子のような強運の持ち主であったなら、絶好調で世界を制した8年前に金メダルを取っていたに違いない。トリノ・オリンピックのシーズンは荒川静香やキム・ヨナも彼女の敵ではなかったくらい当時の彼女は強かった。浅田が日本フィギュアスケート界が生んだ最高の選手であることは、今回のオリンピックの結果で何ら変わることが無い事実なのだ。同様にモーグルの上村愛子は金メダリストの里谷多英より実力のある選手であろうし、ジャンプの葛西紀明は原田たち金メダリスト以上に元から日本のエースであったのだ。ただオリンピックの女神が彼らに微笑まなかっただけだ。飛距離で勝っても金が取れないのが何よりの証左である。競技人口の少ないお家芸の柔道やレスリングなどを除けば、大本命でそのまま金メダリストになったのは、高橋尚子や北島康介などごく僅かな人たちである。彼らは確かに運と実力を兼ね備えていた。だが、運はなくとも実力を持っている人はそれだけで立派に違いない。オリンピックに出るということは、日本で1、2位の実力の持ち主なのだから。
 ここに一人の政治家がいる。彼は、祖父が首相、父も次期総理確定と云われた大物政治家の息子でありながら、勉強が嫌いであったのか、偏差値の高い一流大学には行かず、普通のサラリーマンになった。ところが、総理目前で父が急死し、議席を継いだ彼は、父の派閥(清和会)に入ることとなる。総理総裁である派閥の長は、父の弟分だったため、特別可愛がられたのであろう、出世は早かった。だが若輩故、閣僚にはまだなれなかった官房副長官時代、当時の拉致問題で、その強硬的発言と裏腹な喋り・ルックスでお茶の間人気を博すこととなった。当時自民党の圧倒的最大派閥に膨れ上がっていた清和会の力と、マスコミ受けのする国民的人気で、あろうことか若くして首相になってしまう。派閥の長でもなく(派閥嫌いのように思われている小泉氏もちゃんと清和会会長から総裁になっている)、閣僚経験さえない総理総裁誕生は前代未聞の事だった。すごい強運の持ち主である。だが案の定、彼には重荷過ぎたのか、非常に情けない形で総理の座を放りだす羽目となってしまう。その後、民主党政権の失敗と大震災等の社会不安により、自民党政権待望論が生まれた。その際の総裁選で自派閥清和会会長を押しのけて無理やり総裁候補となった彼は、全国の自民党員の得票では、ライバル石破氏よりかなり低かったにもかかわらず、派閥と長老の力で(石破氏は、森元総理たち長老に嫌われていたとの噂がもっぱら)、現代では初めての首相返り咲きを果たしてしまった。自分で考えたはずも無い「・・・ノミクス」のパワーも大きかったに違いない。だが、彼より実力のある政治家は自民党にも山ほどいる中、二度も日本のリーダーに立った安倍晋三氏はまれに見る強運の持ち主と云わざるをえまい。願わくば、その強運を自身の野望のためではなく、真に国民のために使って頂きたいと望む今日この頃である。

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