2016年3月24日 (木)

独り言移動のお知らせ

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2015年1月 8日 (木)

玉ちゃんの独り言 第38回「2014年を振り返って」


 
 去年の「独り言」は似たような内容の政治ネタが多かった気がする。書き手としては反省すべきことかもしれない。だが、正月の「独り言」で述べたように 去年は日本の将来の分岐点的年であったことは間違いないであろう。集団的自衛権行使容認の閣議決定を始め、NSC、特定秘密保護法、武器輸出三原則撤廃等、今はまだ、その意義や影響が顕になってはいないが、日本の将来を確実に変化させるであろう法律や決定がなされた歴史的年であったと言えよう。そして今年は、圧倒的な議席数を背景に、それら実行のための具体的な諸法案が次々と通過していくに違いない。
 突然だが、ここで「なぞなぞ」をひとつ。有名なクイズなので、知っている方もいるだろうし、引っ掛け問題ではないので、知らない方も冷静にさえ考えることが出来れば、必ず答えに辿り着く簡単な問題。  
 「ここに大きな池があります。その真ん中には小さな蓮の葉があります。蓮の葉は、1日で2倍の大きさに成長します。30日でこの池を全部覆ってしまう計算です。全部覆われてしまうと、池の生物がみんな死んでしまうので、ちょうど半分になった日に蓮を切ってしまうことにしました。さてそれは何日目でしょう?」
 環境問題を考える際、よく喩えに使われるなぞなぞである。だが、これは環境問題に限られたことではないであろう。日本の平和が今後保たれるのか否かを考えた時、去年と今年は、その何日目に当たるのだろう?
 
 総選挙は大方の予想通り、与党の圧勝に終わった。その翌日、日銀は景気が上向いてないことを正式に発表した。なんという素晴らしいタイミングであろう。これぞ計算通りということか・・・ そして安倍総理・総裁は、選挙戦中一度も触れなかった憲法改正に意欲を示した。いかにも彼らしい変わり身の速さである。と同時に、この単純なまでの変節とストレートさに、逆に彼の腹黒さの限界を見た気もする。本当の策士なら、もっと慎重に、言動にも注意するに違いない。結局もしかすると彼も真のリーダーと言うよりは、日本をある方向へ導こうとしている巨大な勢力にとっての神輿に過ぎないのかもしれない。どちらにしても、国家の名誉より国民の命を大切に考える人々にとっては、今年は正念場となるであろう。戦後70年目が戦前何年目に当たる年になるかどうか、それを決めるのは、総理大臣個人でもなければ、与党議員たちだけでもない。国民全体なのだ。すでに29日目は始まっているのかもしれない。

2014年11月26日 (水)

玉ちゃんの独り言 第37回「XX解散総選挙」

 宮崎駿監督がアカデミー名誉賞を受賞した。喜ばしいことである。故黒沢明氏以来2人目と云う快挙で、各マスコミは当然これを一斉に報道した。だが、宮崎監督の受賞スピーチの内容に触れたのは、新聞では、日経1紙であった。残念なことである。宮崎氏は、自分が50年間無事に仕事できたのは、日本に戦争が無かったからだと語り、続けて、平和憲法を改変して戦争参加の道筋を作っている現政権を批判した。日本とは違い、アメリカの芸能界では政治的発言は日常であり、小生も「戦場のピアニスト」の主演男優賞スピーチの素晴らしさと割れんばかりのスタンディングオベーションを観たときの感動は、今も鮮烈な印象で決して忘れることはできない。国家権力を批判できるのも国民の大切な権利であり、それは封じ込めようとする政権は、どの国でも、いつの時代でも、必ず国に災いをもたらしてきた。

 さて衆議院が解散された。もちろんこれは首相の専権事項なので、誰もそれを止めることはできない。ただ、首相に解散権が与えられているのは、基本的に内閣不信任案が可決される場合と、衆議院議員の任期が迫っている時のためであり、やたらめったらに乱用して良いはずはない。今回も税収が少ないのが根本原因のはずなのに、任期半ばで、700億円もの血税を無駄遣いしようとしているのだ。しかも自民党にとっても、総裁の我儘(自身の政権の延命のため)で、普通ならあと2年代議士でいられるはずの何十人かが、路頭に迷うのだ。今回の解散を小泉政権時の郵政解散と同じように語る向きもあるが、その時とはまったく異なっていると思われる。確かに当時も小泉首相の思いつきのような突然の解散ではあったが、郵政民営化法案が参議院で否決されたという状況で、解散の無い参議院の代わりに、民意を問うたというものであった。小泉首相の執念とも云える郵政民営化については、国民はもちろん、与野党議員、専門家も意見は真っ二つに割れていた。したがって、当初は政府自民党(公明党も含め)の苦戦が予想されていたくらい危険な賭けであったのだ。それに比べれば、今回の消費税増税延期に対しては、国民も野党も反対してはいない。シングル・イッシュ選挙は褒められたものではないが、今回はそれでさえないのだ。もし「国民の生活に深く関係のあることだから、民意を問いたい」という安倍首相の言葉が誠であるならば、今回のように国民の意見が政府と一致していることに無駄に血税を浪費するのではなく、賛否両論あること、例えば集団的自衛権行使の問題(まさに日本国民の命に係わる歴史的大転換)こそ、民意を問うてから決めるべきではなかったのだろうか。それらの重大課題を争点にすることなく、政権の信託がなされたと言って、自身の延命を謀って、好き勝手をやろうとしている意図が見え透いているのだ。だいたい国民の8割近くが反対している師走選挙を強行する人間が、民意を問いたいと言っても説得力が無さすぎるであろう。この一点だけをとっても彼が国民のことなど本気で思っていないことが、よく分かるのである。(実はここまでは、現実の解散前に書いた部分だったので、11月25日現在では、少々訂正せねばならない)  

  まず、マスコミ各社によっても違うのだが、解散総選挙肯定派が、やや増えてきた。と言っても3分の1に満たないのだが・・・

 次に、首相は、解散総選挙の名目を、消費税据え置きから「アベノミクス」全体の是非を問うものに変えてきた。あまりにおかしいと、反発が起きたためであろう。この程度のことも予測できない程、国民を馬鹿にしているのか、根本的に関心がないのであろう。だが、明らかに途中で結果の出ていない「アベノミクス」の是非を問うのも選挙のテーマとしては相応しくないのだが、たぶんそこが狙いなのであろう。結果が出てからでは、まずいので・・・  

 また、最初の会見で勝敗ラインを自公で過半数においたのも、身内の与党皆の反発を招いて、幹事長達に訂正させられた。当然である。自分勝手をやっておいて、現職80人くらいの落選者を出しても、総裁の座に居座ると宣言したも同じなのだから。もしこれが民間企業だったら、どうであろう。社長が会社再建のためのリストラでもなく、自分の我儘で社員の4分の1以上をクビにしたとしたら? 例えオーナー社長であったとしても、間違いなく代表取締役を解任されるに違いない。「過半数を割ったら退陣する」という言葉も覚悟の表れのように聞こえることを狙ったものだろうが、過半数を割って退陣しないことなど始めからありえないし、共産党を除く野党が過半数を取れるだけ擁立できないことも重々承知の上での発言なので、これも国民を馬鹿にしているとしか思えない。要は、「僕は総理大臣を絶対やめませんよ」と言っているのに等しいのである。だが、50議席くらい減ることになれば、さすがに自民党内からも責任論が浮上する可能性は高い。安倍首相の一連の独善的な政治手法に不満を持つ者も、これまで我慢してきた分、ここぞとばかりに立ち上がることも考えられる。だが、「安倍おろし」は国民とマスコミが味方しないと実現しない。安倍親派の大新聞グループは、安倍続投の世論操作に走るかもしれない。その時他のマスコミと国民自身が問われる時が来る。本当にこの先の数年間「彼」でいいのかと。

 安倍首相が良く使う「戦後レジームからの脱却」とは、憲法を元にした現国家体制や戦後教育等の否定に他ならない。彼の大好きな靖国神社が戦前を美化しているように、彼に目指す「美しい国」のモデルは限りなく大日本帝国にあるのはほぼ間違いないと思われる。来年で戦後70年になるが、70歳代は戦中派の子供世代であるから、本当の戦前の日本の姿を知る人はいよいよ数少なくなってきた。だが、彼ら大先輩たちは戦前の日本と今の日本のどちらが良いと答えるだろうか?  人は往々にして対象の一側面しか見ない傾向にある。それは物であっても国であっても、時代であっても人であっても。もしかすると小生も安倍首相のほんの一部の面ばかりを見ているのかもしれない。だが、現内閣を支持している多くの人々より彼のことを注視しているつもりである。そして自民党の中であっても政権交代がこの選挙で実現することを期待して、大切な一票を投じたいと思う。

PS.    小学4年生を騙ってネットで解散批判をした大学生を、この日本国の現首相は「最も卑劣な行為」と断罪した。国の最高責任者が「最も卑劣な行為」と言うのを聞いて、世界の人々はどれほどの大罪を想像することだろう。彼はそんな酷いことをしたのだろうか? 少なくとも、一般国民にこれだけ噛み付く首相は前代未聞である。総理大臣とは、日本で最も批判の矢に身を委ねなければならない職業である。だが、彼は彼の側近にあらゆる媒体の首相批判記事等をチェックさせ、気に入らないものには内容証明郵便で訂正を求めたりしているらしい。いつか小生の所にも、そんな郵便か来るかも。それはそれで楽しみだけど。

2014年10月25日 (土)

玉ちゃんの独り言 第36回「最近の話題に一言(?)+先月の訂正」

            玉ちゃんの独り言 第36回「最近の話題に一言(?)+先月の訂正」

 まず、先月の「イスラム国」について、下調べが不十分だったことをお詫び致します。世間的イメージのまま、「イスラム国」をアルカイダの分派のテロ集団のように書いてしまいましたが、そんなシンプルな過激派ではないようです。  彼らは元々、数万人もの虐殺を繰り返すアサド政権やイラク内の反スンニ派からの独立を試みている人々の集まりであった。確かにアルカイダの下部組織化した時期もあったが、一時期に過ぎず、基本的に反米、反ユダヤ、反キリスト社会のジハード(聖戦)を一義とする集団ではなかったのだ。本当に国家を建設しようとしており、むしろアメリカやフランスが空爆を仕掛けるまでは、ほとんど(全く?)反欧米・反イスラエルの殺戮は行っておらず、ターゲットはアラブ人同士の、言わば独立戦争に過ぎなかった(それでも残酷な処刑等非人道的行為があったのは間違いないのだが)。反アサド政権としてアメリカが支援したグループと行動を共にした時期さえあったらしい。そんな彼らを反米志向に向かわせたのは、結局のところアメリカ自身なのだ。たとえどんなに残虐な殺し方であっても彼らが殺害した欧米人はごく僅かだ。拘束された日本人が殺されたという一報もまだない。かの映画「殺人狂時代」の中のチャップリンの有名なセリフに「一人殺せば悪者だが、百万人殺せば英雄だ」というものがあるが、まるで「イスラム国」とアメリカの関係のように思えてならない。果たして世界の盟主アメリカ合衆国が手を出して、本当の平和が築かれたことが今まであったのだろうか? いくらなんでも自国の軍事産業発展のためだけにやっていることだとは、小生とて思いたくはないのだが・・・

 「デングとエボラ」

 今夏(たぶん)一人の旅行者が持ち帰ったとされるデングウィルスが日本を騒がせた。蚊(あるアメリカの調査では、2位の「人間」を大きく引き離して、地球最恐の殺人動物断トツの1位の座にいるらしい)が媒介するこの病気は、致死率が低く比較的軽度で済むことが多いため、また発生が晩夏だったこともあり、日本中を蚊パニックに陥れずに済んだようだ。だが、稀に重症化したり、再び刺されたりすることで発病するとされる致死率の高い「デング出血熱」の危険も、実は充分あったのだ。幸か不幸か、多くの日本人が、デング熱とデング出血熱の関係に無知だったため、事なきを得たに過ぎない。かつて中国の「SARS」流行の折、日本中がパニック化し、世界の嘲笑を買ったことは、大人世代の方なら、苦い思い出として残っているに違いない。そして今、エボラ出血熱が、欧米に上陸し始めている。患者は主に「国境なき医師団」の医師や看護師たちであり、中には病気回復後、再び現地へ戻った医師までおり、本当に頭の下がる思いである。だが、ここで考えなければならないことは、「国境なき医師団」には日本人医師もいるということ、そして彼らがもし感染する事態に陥ったら、日本に帰国させなければならないということだ。空港でアフリカ旅行者だけを厳重検査したところで、問題は解決しない。欧米で流行すれば、間違いなく日本国内にも入ってくるのは時間の問題なのだ。その時は、正しい知識と適切な対応で、SARSや放射能アレルギーのようなお粗末を繰り返さないようにしたいものである。

 「子供たちの味覚障害」

 ある調査によると、児童のなんと三割が正しい味覚をもっていないという結果が出た。理由はもちろん食生活の悪さである。味の濃い料理と野菜不足が主な原因らしい。小生はラーメン大好き人間で色々な店で外食をするのが楽しみなのだが、小生が味を薄めてもらっているのと同じものを「味濃いめ」と注文する若いお客さんが結構多いのには驚かされる。また昨今は別の料理でも、胡椒や唐辛子(一・七味、柚子胡椒、ラー油、チリソースなど)の類を大量に振り掛けているのを、よく目撃する。カレーもどんどん辛くなる一方のように思われる。カレーや四川料理等が辛いのは、その風土によるものだ。厳しい暑さや寒さの中で生きるための食生活の知恵なのである。温暖な日本には当てはまらない。だが今日本では、激辛や濃厚な料理が大人気である。こういう物ばかり食べている若者が親になったら、どうなるのだろうと思ってはいたのだが、事態は小生の予想より遥かに急激に進んでいたようだ。今日本料理は世界で注目されてきており、同時に官民ともに盛んに海外進出を行っているのだが、肝心の日本人が(一番だし)のお吸い物の味もわからないようでは情けなさ過ぎるのではあるまいか(ちなみに当「玉茶庵」のお吸い物は、敢えて一番二番ブレンドのだし濃い目にしております)。小生は職業柄自分の食事に香辛料は基本的に使わない様にしているが、味気ないことはない。要は慣れなのである。もちろん一般の方々に同じことをしろと強制する気はさらさらないが、おでんは辛子なしでも充分美味しいし、蕎麦には山葵や七味も無い方が風味がより味わえる。他も然りである。何よりも忘れてならないのは、「辛い」は味ではないということだ。ご存知の方も多いとは思うが、味覚(五味)に「辛味」はない。辛さというのは、単に舌や口内の痛覚を刺激しているだけの、体の「痛み」に過ぎない。したがって過剰に摂取すれば、舌の大切な味蕾の損傷に繋がるのは当然の帰結と言えよう。また脂(多いと本来の味が分からなくなってしまう)や塩分の取り過ぎが、体に良くないのは言うまでもないことである。昔の日本人の食事は、一見貧相のようであったが、実は栄養学的にも医学的にも素晴らしい世界に誇れるものであったのだ。食だけの問題ではないのだが、世界が真似したがっている日本人の美徳長所を最近の日本人は自ら捨てようとしているように思われて仕方ないのである。

 日本人は本来、世界一繊細な民族と言って過言ではあるまい。それは料理にも町工場やIT等の精密な技術、漫画文化にもよく表れている。一方SARSパニックや放射能への拒否反応のように、怖がりな面も世界屈指であろう。それが衛生面でのレベルの高さに繋がっており、ひいては医療の充実・国民皆保険・長寿世界一へと繋がっているのも間違いないであろう。だからこそ良い意味での神経質さは長所なのだ。そしてそれを持つ日本人本来の姿は、決して攻撃的ではなく、平和を愛する国民であるはずだ。肉食系狩猟民族である白人的好戦性より、草食系農耕民族である日本的平和主義の方が遥かにレベルの高い精神性であるであると、小生は敢えて断言したいのである。

 

2014年9月29日 (月)

玉ちゃんの独り言 第35回「イスラム国空爆と日本」

                      玉ちゃんの独り言 第35回「イスラム国空爆と日本」

 今日ついにアメリカ他数か国が、イスラム国(国家を名乗るイスラム教スンニ派の過激派組織)壊滅のため、シリアを空爆した。言うまでもなくイスラム国は凶悪な集団で、仮に全滅したとしても同情の余地はないのだが、素朴な疑問として、どうして第3国に空から爆弾を落とすことが、当たり前のように行われるのか、小生には理解できない。国連決議等もなく、今回同調したのは、イスラム国に反発しているアラブ諸国の一部だけだ。別にシリアがアメリカやイラクに対して攻撃したわけでもないのに、罪もない一般市民に被害が及ぶことは避けられまい。確かにイラクの内戦は泥沼化しており、イスラム国は、9.11時のアルカイダの如く、アメリカには邪魔な存在になっている。だが、イラクをこんな状態にした最大の責任はアメリカにあることは明白だ。イラク政府を滅ぼし、権力側であったイスラム教スンニ派を弾圧したことが、現在の武力抗争に繋がっているのは間違いない。かつてイラン・イラク戦争時、フセイン政権を応援したのもアメリカなら、アルカイダを育てたのもアメリカである。アルカイダ、そしてビンラディンが東西冷戦時にアメリカの都合によって大きくなったのとは対照的に、アルカイダから生まれたイスラム国は、アメリカの都合により嘘の罪(大量破壊兵器保持)で滅ぼされたスンニ派政権であるフセイン大統領一派の残党や支持者が、より急進的過激派に形を変えていったものの可能性は高い。それに加えイスラエルを全面的に支援し、イスラム教系アラブ人を弾圧するアメリカに対する憎悪の念が、アラブ人のみならず世界的に広がっていったことがイスラム国をこれだけ強大化させた原因であろう。結局アメリカは、自分が蒔いた戦争の種を自国の軍隊で刈り取りに行き、そこでまた新たなる紛争の種を蒔いているようなものである。まさの悪循環と云う他ない(軍事産業にとっては、好循環か?)。一説によれば、米軍のシリアへの地上部隊投入も検討されているとのことなので、第二のアフガン戦争を始めるつもりなのかもしれない。世界の警察を自負するこの国が行ってきたことは、朝鮮・ベトナム戦争以前も以降も、平和実現とは程遠い戦争の連続である。アメリカ共和党の強力な支持基盤に軍事産業があることはよく知られているが、不思議なことに民主党政権下において数々の戦争の火蓋が切られているのも事実だ。結局どちらの政権であってもアメリカが世界で一番好戦的な国家であることは否定のしようもない。そして日本はイギリスやフランス同様アメリカの同盟国である。ただ、これまでは憲法9条と集団的自衛権行使の否定により、アメリカに共に戦うことを強制されなかっただけのことなのだ。したがってこれからは、日本もどうなるのかわからない局面に踏み込もうとしている可能性が強い。時々二枚舌を使われる首相は表向き否定しているが、前幹事長にして次の首相候補筆頭の石破氏は、集団的自衛権行使が可能になれば、中東への自衛隊派遣もありうることを認めている。はっきりと二人に共通するのは、日本人もアメリカのために血を流してこその同盟国であるとの認識である。確かに残念なことではあるが、ここ数年海外で日本人の血が流されている。明白な形で殺された香田氏の場合だけでなく、トルコでの二人の女性旅行者の死もイスラム教過激派の影が見え隠れしている。そして今また、イスラム国に拘束された湯川氏の命も風前の灯であろう。フランス人旅行者がアフリカで拘束されたように、危険は中東以外の国々に飛び火している。日本人がどう捉えていようが、イスラム系アラブ諸国から見れば、日本は彼らの敵国となろうとしていると映るに違いない。もし自衛隊が中東へ戦闘に向かう日がやってくれば、9.11クラスのテロが日本の原発付近で起きても不思議ではなくなるのだ。小生にはわからない。エネルギーである石油を依存し友好国も多い西アジアの国々と、どうして、敢えて敵にならなければならないのか(まさか中東からの石油がストップした場合に備えて、原発の再起動を急いでいる訳ではないとは思いたいが)? それが北朝鮮や中国の脅威への解消に繋がるとでもいうのだろうか。そんなことは微塵もありえない。日本国憲法こそが、戦後日本が戦争に巻き込まれるのを防いできた防波堤だったことは間違いない。一国平和主義などありえないと首相はのたまうが、世界で最も戦争と侵略に無縁な国は、どの国とも決して同盟を結ばない永世中立国スイスであることは、誰にも否定のできない事実である。日本とアメリカは今でも非常に緊密な関係にある。属国であると言う人もいるほどだ。別に小生は、憲法改正に反対でもないし、アメリカとの同盟関係を破棄するべきなどと考えているわけでもない。ただ、遠からず世界一の大国の座から陥落することが確実なアメリカと、今以上これ以上の運命共同体になることが日本の国益になるとは、どうしても思えないのである。  先日誕生した安倍改造内閣の新総務大臣が、記者会見で注目すべき発言をした。総務省といえば、マスコミ等報道機関の所轄官庁であるが、彼女は朝日新聞の失態を例に出して、政府による報道機関への圧力を強めるとも取れる発言をしている。もちろん戦前のような言論統制をする気ではないとは思うが、彼女が靖国神社大好きのタカ派の論客であることは有名であり、彼女にこのポストを任せたのが、官房副長官時代NHKプロデューサーを恫喝脅かした前歴(詳しくは「独り言 第27回」に)のある現首相であるのは、偶然ではないはずだ。今までタブーとされてきたアベノミクス失敗説が最近取り沙汰され始めているが、この手の報道も規制したいのだろうか。とにかく支持率の高いうちに(どうやっても今の分裂野党などに負けるはずはないという自信故)総選挙を強行して、消費税増税と集団的自衛権関連法案を国民が了承したという形を取ろうとしているとの噂もある。小生が安倍晋三氏を総理大臣として評価できないのは、単なる好き嫌いや政治的信条の違いだけではない。ついでに言えば、彼が戦後の歴代首相の中で(小学校卒の天才田中角栄氏を除く)、最も学業成績が悪かったからだけでもない。それは彼が時折垣間見せる一種の危うさのようなものに、首相として不安を覚えるからである。世間的にはソフトなイメージも強い人ではあるが、たぶんかなり激しい気性の持ち主に違いない。それが体調面も含め完全にコントロールされていればまだ問題はないのだが、時折綻びを見せてしまう瞬間がある。例えば演説や答弁において、これまでの首相が「我が国は」「政府としては」等と述べる場面で、彼は再三「私は」と発言している。また国会の委員会答弁において、他の人の発言を遮って、私が最高責任者だから(許される)のような発言をして、身内の自民党内部からも大顰蹙を買ったこともあった。これらの自己中心的発想は、議院内閣制の総理大臣にそぐわないものであると思われる。首相の座を目前に早逝した亡父の教訓か、前回の自身の政権投失の無念さからか、彼には他の歴代首相にはない焦りといったものが感じられるのである。もし集団的自衛権行使が完全に決定されれば、今までとは比較にならない程首相個人の責任は重くなる。そこに健康面を含め自己コントロールの低い人間が居座ってはならないのだ。それに比べれば石破氏の方が政治家としてその資質はあると思われる。が、自衛隊出身者であり現役の自衛隊幹部とも非常に親しい人間が国の最高責任者になることは、シビリアン・コントロールの理念からして果たして妥当であるのか否かは、石破氏個人の問題に限らず、今後充分検討すべき課題であると思われる。戦前の日本の最大の間違いは、軍部独裁を許したことである。先進国といわれる国々がシビリアン・コントロールを義務付けているのは第二次世界大戦の大いなる反省から生まれたものであり、日本国憲法にもそれは文民統制と言う形で謳われている。当面政権交代が望めない今、自民党には正しい政治を行ってもらいたい。それにふさわしいリーダーとともに。

  ps. 今月は少々過激に走ったやもしれません。安倍首相を好きな人、ゴメンナサイ。

  ps.その2          

 上記psで、今月分を締めるつもりであったが、首相の国連演説の内容を知り、気が変わった。 集団的自衛権行使の是非さえまだ国民のコンセンサスを得てはいないというのに、この方は、まるで国の決定事項かのように、世界に向けて自衛隊のPKO参加時の武力行使について述べている。暴走と言う他ない。国の行く末を決めるのは、(代表者の集まりとして国会も含め)国民なのか、三権の長の一人に過ぎない内閣総理大臣なのか、小学校、中学校の社会の教科書から勉強し直してきて欲しいものである。   

2014年8月27日 (水)

玉ちゃんの独り言 第34回「69年目の夏と報道」

 今年も戦争を思い出させる8月がやって来た。ところが、8月7日の最大手新聞の朝刊を見て、驚いた。なんと前日の広島原爆忌の式典の記事が1行も載っていないのだ。そんな大ニュース目白押しの日でもなかったのに、38ページの紙面どこにも見当たらない。関連記事である6日夜の広島の精霊流しは写真付きなのに。夕刊で扱ったから不要と云うのだろうか? 夕刊を取っていない人も大勢いるため、大きな出来事は翌日の朝刊にも再度載せるのが、一般紙の常識ではなかったのだろうか。それともそれ程のニュースではないと編集部では思っているのか? 毎年一緒だから首相の式辞のように去年の使い回しでもOKだと? 今年はケネディ女史が駐日米大使として初出席したことで、例年以上にニュースバリューはあるはずなのに。もちろん他紙は普通に複数ページを割いて掲載していた。被爆者感情に関心がないのは、続く長崎の日の記事でも伝わってきた。首相と長崎市長の式辞は、ほぼ全文掲載しているのに、被爆者代表のそれには、内容さえも触れてはいない。理由は明らかであろう。被爆者代表は、集団的自衛権と原発再稼働に強く反対する挨拶をしたからに他ならないと推察される。自民党以上にその二つを推進してきたこの新聞社である、社の方針に反するものは、報道したくないのであろう。でも日本一の大新聞ともあろうものが、そんなことでいいのだろうか? 
 かつてチャーチル元英首相は、民主主義とは、自分と反対の立場の人が意見を述べる権利を守ることである由の言葉を残している。今回長崎市長が式辞の中で、集団的自衛権について触れたことを、非難した自民党議員がいた。別に市長が集団的自衛権に反対の意を表明したわけでもないのに、市長が国政にもの申すのは間違っていると。多くの自治体の首長や議会が、集団的自衛権行使に反対を表明しているが、それも越権行為だとでも言うのだろうか。言うまでもなく小生は集団的自衛権行使に反対ではあるが、賛成派の人の意見に耳を背けるようなことをしたことは一度もない。ましてや政治信条を述べるのが仕事の政治家に向かって、意見を言うななどというのは、自由と民主主義の根本を否定するようなものである。かの議員の属している政党は、何という名前の党だったか、自分で思い返して頂きたいものである。自由民主主義の反対は、共産主義ではない。全体主義なのだ。確かに共産主義も全体主義のひとつの形と言えよう。だが、すでに共産主義の破綻は見えてしまった(私的に極論すれば、共産主義とは、平等より不平等を好む人間の性を計算に入れなかったマルクスの机上の空論に過ぎなかったと言えるのではないか)。民主主義を標榜しようが、共産主義であろうが、反対意見が言えない国家は、全体主義の独裁国家に向かうのである。大概のことにおいて、アメリカは日本より自由国家だと云えようが、共産党はもちろん社会党さえ(議席保持政党として)存在しないのは、明らかに政治的に偏った国と言わざるを得ない。逆に、小生は支持しているわけではないが、日本共産党が議席を保持し頑張っていることは、日本のため良いことだと断言できる。
 かつて日本には、自由も民主主義も政党政治も、真実を報道することさえも存在しえない時代があった。総理や靖国神社関係者が賛美している時代のことである。約70年前、国民は真実を何も知らされないまま、勝つ見込みのない戦争に突き進まされてしまっていた。今も存在する新聞社マスコミが戦意高揚のための報道で国民を欺いた罪は、一億玉砕を主張した軍幹部と同じくらい大きい。小生が若かった頃クオリティペーパーを自他ともに認めていた朝日の最近の凋落ぶりには、確かに目を覆わんばかりのものがある。だが、一人の老人に媚び諂っている最大新聞社の偏向報道には、戦前戦中の反省など微塵も感じられない。69年目の8月15日の報道も、他紙とは全然違っていた。総理が第1次政権時の式辞で述べた憲法順守と不戦の誓いの文言は、今回見事に消え去っていたが、かの新聞だけは当然そんなことには触れもしていない。国民に考えさせる材料を与えるのを避けているかのように。これが日本一の報道機関なのである。日本の報道はこれでいいのだろうか? 問題は一新聞社だけのことにはとどまらない。テレビとて、その新聞社系の局が視聴率的に独り勝ち状態である。右も左もわからない赤子のような若者たちや疑うことを知らない素直すぎる国民の多いこの国にとって、報道の信頼度が問われる時代が来ている。憲法が権力を縛る絶対的存在として必要であるのと同様に、マスコミには時の為政者や黒幕を監視し、真実を明らかにする責務があるはずだ。騙されてはいけないのだと我々自身も自覚する必要があると思う。

2014年7月26日 (土)

 玉ちゃんの独り言 第33回「輸入食料問題について」

      玉ちゃんの独り言 第33回「輸入食料問題について」

 今日トップニュースを飾っているのは、中国の食肉加工工場のずさんな実態だった。最大手ファーストフード・チェーンの人気商品が対象だったため、波紋が大きかった。自慢じゃな

いが、小生は鶏唐揚げは好きだが、ナゲットは好きではない。同様にハンバーグも肉や魚のだんごも。理由は簡単、混ぜ物が多いからだ。どちらかと言えば健康志向というよりも味の問

題が大きいのだが、添加物の危険性も、職業上一般の方々よりは詳しいので、やはり加工の少ない食品の方を好む傾向にある。だからといって、そういう物を一切食べない訳ではない。

極端な安全志向ほど精神的に不健康なものはないとも思っているから。中国の衛生管理の悪さを酷評するのはわかるが、「日本じゃとても考えられない」等のセリフを述べる人々が多い

のには、驚いた。ついほんの何年か前まで食の偽装で大騒ぎしていたのは誰だろう。店の冷蔵庫等に入って悪ふざけ写真を撮っていた若者は、間違いなく日本人だったはずだ。目先の利

益に走り、道を踏み外すのは、どの国の国民の中にも存在するのは否定できない現実だ。もちろん大部分の日本人は、世界で最も衛生的な人種といっても過言ではないだろうし、中国人

は世界で最も何でも食べてしまう国民と言われているのも事実だ。基本的に高温油調理が原則の中華料理では、野菜等食品の洗浄はあまり行わないそうである。落ちた物だって油通しす

れば大丈夫という感覚を持っていたとしても、それは文化の問題なのだ。一方、世界でも最も生食好きな食文化を持つ日本では、おそらく世界一安全な水道水で何でも洗い過ぎる位よく

洗う傾向にある。たぶん日本人のお風呂好きも根本は同じなのであろう。したがって、中国に限らず、外国から入って来る食品は、基本的に日本より安全性が低くなるのはやむを得ない

。食料自給率が極端に低い日本では、食料品の大部分を輸入に頼らざるを得ないのだから。更にTPPに加盟すれば、今よりもっと農薬等様々な危険のある食品が増える日も目前に迫っ

て来ている。あとは、一人一人の消費者が自ら判断していく他ないのである。  中国から輸入された食品の中で今一つ新聞で一面を飾ったものがある。「うなぎ」だ! 本来取引が禁止されているはずの「欧州ウナギ」の稚魚(シラスウナギ)を中国が輸入し養殖

後、「ニホンウナギ」と偽って日本に輸出したのではないかとの疑惑が持ち上がっている。もうすぐ土用の丑の日であるが、日本人は本当に鰻好きだ。なんと世界の7割を食べ尽くして

いるそうである。「欧州ウナギ」に続いて「日本ウナギ」が絶滅危惧種に指定されるのも、もはや時間の問題だろう。まだ完全に生態が解明されていない「ウナギ」という生き物を、稚

魚のレベルで乱獲した結果に他ならない。鯨やクロマグロ(本鮪)と同様だ。完全養殖出来ないものを乱獲すれば、数が減るのは当然である。鰻も本鮪もかつては滅多に庶民の口に入る

ものではなかった。今では死語だが「税務署が来る時は鰻重」と言われたほど接待にしか登場しない高級料理だったのだ。それがいつの間にかスーパーで蒲焼きが安く売られるようにな

り、鰻自体が国産から輸入中心に変わっていったのである。同様に本鮪も、以前は一部の高級寿司屋や日本料理店でしかお目に掛かることのない食材であったものが、100円均一の回

転寿司に日常的に登場するようになったのは、果たして喜ぶべきことと言えるのだろうか? 食材に限らず、全ての高級品はその希少性ゆえ価値が高い。庶民には手が届かなかった高級

食材を、一般家庭の食卓に上らせた人々の尽力は賞賛に値する。しかし行き過ぎがあったのではないだろうか。「一億総何とか」の発想は最早残念ながら非現実的と言わざるを得まい。

鯨が高級食材になったように、鰻や本鮪も(多分松茸も)元の高級食材の位置に戻って行かざるを得ないのであろう。生態系を崩し、ある生物種を絶滅に追い込む権利は、本来人間にだ

ってないはずなのだから。  中国をはじめとする輸入先の国々や食品会社を批判するのは容易い。しかし彼らは日本人の胃袋や欲望を満たすために働いてくれているのである。かつての焼き肉「えびす」の事件を振

り返ってみれば分かるとおり、適正と言えない価格破壊が結局食の安全を脅かすことに繋がるのだ。そして食育の面から考えて、子どもに高級食材を食べさせることに、もう少し疑問を

持っても良いのではなかろうか。日本人が長年かけて築き上げて来た食文化とは、決して今の飽食文化ではないはずだ。一連の事件やTPPを一つの契機として、今一度我々自身が日本

人の食を考えるべき時に差し掛かっているのだと思う今日この頃である。

2014年6月30日 (月)

 玉ちゃんの独り言 第32回「頑張れ、安倍ちゃん!? 農協改革について」

    玉ちゃんの独り言 第32回「頑張れ、安倍ちゃん!? 農協改革について」

 賢明なる読者の方々はもちろんおわかりのことと思われるが、小生はアンチ安倍晋三氏である。だが、誰の発案かはわからないアベノミクスなるものも含めて、彼のブレーンの優秀さは否定しようがない。間髪入れず次なる矢を放つことによって、前の失敗を忘れさせ、重大懸案をも国民の関心事に留めさせず、右から左へとスルーさせてしまう手法たるや歴代政権でも出色の手腕と言っても過言ではない。閣議決定による集団的自衛権の行使容認という暴挙も、世論調査では反対の方がかなり多いにもかかわらず、それが支持率低下に繋がって行かないのが、何よりの証左と言えよう。ただ、国民が彼と自公政権に求めている最大のテーマは、景気回復と明るい未来への期待であることは疑いようもない。したがって給与アップ等で裏切られ、さらに北朝鮮政策などが失敗すれば、簡単に国民が手の平を返す危険性があることも十分承知しているに違いない。さればこそ高支持率を背景に先人にはなしえなかった様々な冒険的政策を推し進めているのであろう。だが、TPPは難航し、経済特区政策は霞が関の官僚に骨抜きにされ、目に見える成果が出ていない。そこで登場して来たのが、農協改革だ。  JAグループ農協は、言うまでもなく自民党の大支援組織である。自民党が選挙で都市部より地方に強い最大の要因でもある。だがTPP反対時にも垣間見られたように、党内での農林族議員の影響力は明らかに低下しているようである。先の総選挙での大勝で議員数は増えているにもかかわらずだ。それは農協が集票マシーンとしての機能をかつてほど果てせなくなったからではなかろうか。最大の原因は、農協の組合員全体の半分以上が非農家で、JAバンク等を利用するだけの準組合員になってしまっているからであろう。さらに農家そのものも兼業が圧倒的であり、農協より企業等に世話になっている家が増え続けているのが実態である。確かに身近な農協が必要な組織であることは疑いようもない。小さな地域農協の中には上部団体の意向に逆らっても、農家と消費者の相互利益のために頑張っている素晴らしい組織もあり、そしてまたそういう活動も徐々に増え始めていると聞く。だが、巨大化し過ぎたJAグループは、疲弊しきっている小規模農家とは掛け離れた存在になってしまっている。ましてや搾取するだけの(?)最上部団体「全中(全国農業協同組合中央会)」などは、必要ないと思っている農家の方も少なくないのではないだろうか。ましてや唯一の任務(?)である政府自民党への圧力も、一番大事な折に役に立たないとなれば、その存在価値が疑われているとしても無理からぬことでる。おそらく首相ブレーンは、全中解体をやるなら今が好機だと踏んだに違いない。厄介な圧力団体を無くし、かつ農家からも感謝されるとすれば一石二鳥の名案だと。  農協JAグループは、一般国民の我々が想像するより遥かに巨大なコングロマリット(様々な分野に手を伸ばしている複合企業共同体)である。JAバンクの貯金残高は、都銀2位の三井住友に迫る程であり、保険会社としてのJA共済は、生保で日本生命に次いで第2位。損保でも3位の規模だ(もちろん一般の民間保険会社は両方の事業を同時には行ってはいない)。さらにJA全農は、大手商社と比べても第4位にあたる売上高を誇っている。そして、それら全てを統括し、指導監督を行うのがJAグループのトップ「全中」だ。こんな巨大組織にアメリカが目を付けないはずがない。かつて郵政改革を小泉政権に要望したように、農協改革を安倍政権に迫っていたとしても不思議ではない。ましてやTPPを締結させ、企業参画による大規模農業を推進したい政府にとって全中は邪魔者以外の何物でもないはずだ。もし全中が無くなれば、上納金が要らなくなるので、種物や農業機械の価格・レンタル料等が下がるに違いない。預金の利息や保険補償内容がアップして、逆に借金の利息や保険料は下がるかもしれない。農業のコストダウンは農家のみならず、一般消費者にとっても大歓迎のはずだ。だが、全中解体はTPPとは危機感の度合いが違ったのか、農協と農林族の反発は尋常ではなく、一時官邸サイドも諦めざるをえなかったのだ。だが、諦めなかった人がいた。安倍首相その人だ。彼の執念とも云える国家改革に全中がそんなに邪魔なのか、アメリカとの密約でもあるのか、とにかく全中解体は安倍ちゃん頼みなのである。  攻撃していても点が取れないどこかの代表チームのように、安倍政権は色々なことにチャレンジしてはいるが、国民にとっての得点は取れてはいない。結果を出しているのは、日本をより攻撃的な国家にするという側面だけだ。せめてここで、真に国民のためにもなり、多くの国民が納得できる成果を上げて頂きたいものである。

PS.   集団的自衛権行使の閣議決定が明日にもなされようとしている。公明党は平和の党であるより連立与党である道を選択したからだ。もちろん責任は公明党だけにあるわけではない。だが、この決断が将来の日本に戦争参加という極めて重い十字架を背負わすことに繋がることは誰も否定できないであろう。明日首相がたとえどんなきれい事を述べても、NSCに国家の安全を一任し、秘密保護法で自由発言を縛り、武器輸出三原則を破ってまで国産軍事産業に力を入れている現政権である、平和より富国強兵が大切なのは、はっきりしている。戦前の軍国主義日本を賛美する靖国神社を崇拝している人々が推進している政策である、首相のポリシー「戦後レジュームからの脱却」とは、平和憲法からの脱却に他ならない。だからと言って、まだ終わりではない。閣議決定なら次の閣議決定で覆されるのだ。我々は、今から国会に提出される個々の法案の中身に注目していかなければならない。同時に誰が賛成で誰が慎重派なのかも。それは集団的自衛権に賛成の人も含めて、我々とその子孫の将来にこれほど大きな影響を与える国家体制の変換の時に立ち会うの者の義務である。 

2014年5月27日 (火)

 玉ちゃんの独り言 第31回「憲法9条なんて知らなくていい! +α(美味しんぼ)」

           

 当初、今月のテーマは「美味しんぼ」問題で、タイトルは「風化と風評」の予定だったが、あまりに小学館編集部のやり口が見事に思え、執筆意欲が削がれてしまった。BCスピリッツ25号では、「美味しんぼ 第604話 福島の真実24」の後に、識者、自治体からの意見や抗議が16個添えられていた。大別すると、批判・抗議等の否定的なものが9、擁護・肯定的なものが4、中間的なもの3となる。このバランスが実に憎い。否定的意見を肯定のそれより倍以上載せることによって、小学館の姿勢が決して原作者・雁屋哲氏寄りに偏っていないことをアピールして、福島バッシングは雁屋氏個人の思想信条に被せ、自身の責任を上手く回避している。その証拠に「編集部の見解」の記事だけでなく、誌面のどこを取っても、謝罪やお詫びの表現は見当たらない。それでいて売り上げは、前号の時点ですでに5割増し、25号に至っては発売日の午前中だったにもかかわらず、4件目でやっと買えたくらいの売れ行きである。陰で編集長はほくそ笑んでるのではないだろうか。「美味しんぼ 福島の真実」に書かれていること自体には、今更あまり論評する気が起こらない。首長や与党の政治家が怒るのは立場上当然だが、福島県民がすべて否定的でないところに、この問題の難しさがある。つまり風評被害拡大阻止を取るか、風化を防ぐため事を荒立てるか、どちらにしても傷付くのは罪のない被災(害)者たちであり、東京電力や(自民・民主両)政府といった加害者たちではない。雁屋氏が自身の主張を過激かつオーバーに描くのは毎度のことで、第1話からの読者からすれば、別段驚くべきことでは無い。何せ、日本に嫌気が差し、一家で日本を捨てオーストラリアへ移住した前歴を持つ氏のことである(実は、とある風評問題を恐れてという噂もある)、福島から逃げ出せという発想は、それほど突飛なことではないのであろう。むしろ、福島の農家の風評被害の実情を丹念に描いてることで、彼の中の帳尻は合っているのかもしれない。だが、問題が問題だけに、マスコミも飛びつき、これだけ大事になったと言える。もしかすると編集部では、それも想定内で、マンネリ化したかつての人気漫画と大物作家を切りたかったのかもしれないというのは、あまりに穿った見方であろうか? 「美味しんぼ」休載が短期になるか、限りなく無期限になるか否かがこれから見ものである。ただ、一つだけ放射線の専門家から聞いた話を付け加えるとすれば、放射線被ばくの人体への影響は鼻より先に目(白内障的症状)に表れるものらしい。例の元町長は、目の症状など何も語ってなかった上、「3/11の前に政府・東電は津波が起こることを知っていた」等の突飛な発言などで地元でもあまり評判の良くない人物であることを考え合わせれば、漫画という創作物の内容の真偽をあまり事細かに論じるのも意味がないように思われる。むしろこれを問題提起とし、政府・東電はまだ何かを隠しているのではないかとマスコミがどんどん突っ込んでくれることをちょっと期待したのだが、今のマスコミにそこまで期待するのは無理だったようだ。たった1週間なのに、今や「美味しんぼ騒動」そのものが風化してしまっている。だが、決して風化させてはならない問題が他にもある。

 さて、またまた、また集団的自衛権問題である。  安倍首相は、テレビでの会見で、パネルを使って集団的自衛権の必要性を説明した。と、思った人はめでたい御仁と言わざるをえない。ちゃんとしたニュース解説まで見れば、彼の演説の半分が集団的自衛権とは別のこと、つまりいわゆるグレーゾーン問題とPKO時の駆け付け警護等集団安全保障問題であったことは、はっきりしている。そしてそのどちらも公明党も国民の多くもそれほど反対していないので、首相自らパネルで説明する必要など始めっからなかったのだ。では何故わざわざ? その二つと集団的自衛権がまるで一体のように国民に思わせるために相違ない。集団的自衛権なしには日本は守れないのだと。平和の党を標榜する公明党は、先の二つと集団的自衛権は別問題だから切り離して論議するべきと唱えているが、この当たり前が自民党には受け入れられないのだ。せっかく首相が上手くリンクさせてくれたのに、ここで分けてしまえば集団的自衛権が、ただの戦争したい権利のように思われてしまうからだ。  ついでに、集団的自衛権の必要性で述べられたことについても触れたい。まず、近年の中国の軍事的巨大化と暴走気味な海域支配欲は確かに危険な香りがするが、中国が本気で日本領土(尖閣諸島も含む)に攻め込むことはありえないと言って構わない。日中も米中もそれほど深く経済的に結びついている。アメリカが集団的自衛権などで尖閣のために中国と本気で戦う可能性もゼロである。米国債の最大の買い手と落ちぶれかけているかつての世界第2の経済大国を秤に掛けるまでもないことなのだ。だからこそ中国が使ってくる手の込んだ挑発に対してグレーゾーン事態の対応は必要になってきているのだが、日本以上にアメリカは中国とは戦う気が無いので、対中国に集団的自衛権の出番などどこにもないと言い切れる。  北朝鮮の場合は少し違ってくる。世間知らずの若者が治める今の北朝鮮はかなり危なっかしい状態にある。軍部の暴走の可能性も否定できないし、クーデターもいつ何時起こっても不思議ではないであろう。だから、もし北朝鮮からミサイルが飛んでくることになれば、その目標が仮に米軍基地であろうとも、明確な対日攻撃であり、それに対する反撃は個別的自衛権の範囲内である。一方、朝鮮戦争は休戦中であり今だ終結していないので、明日韓国領土が戦場になっても不思議ではない。その時在韓邦人の命をいかに救うか、ここが問題となってくる。例えどんなことが起きようとも韓国は、日本の軍隊(もちろん自衛隊)が朝鮮半島に上陸するのを許さないと言われているので、集団的自衛権が行使可能でも日本がアメリカと共に陸上で戦うことはありえない。したがって在韓邦人の帰国のための輸送が米軍の飛行機あるいは船になる可能性は大いにあり得るだろう。その際、首相がパネルで説明した通り、日本の民間人を乗せた米軍艦が狙われる可能性はゼロとは言えまい。ただ、もしそこで北朝鮮が日本の民間人が乗っていると知った上で日本に向かう米艦を攻撃するとすれば、それは日本への宣戦布告であると、すべての日本人は思うはずだ。よって、またまた個別的自衛権の問題であり、集団的自衛権の出る幕ではない。首相の私的諮問会議・安保懇のメンバーや石破幹事長が、個別的自衛権の拡大の危うさを懸念していたが、そんなものは集団的自衛権の危険性の前には無いに等しいと言っては過言ではないと思う。つまり日本の周囲のアジア内で集団的自衛権が必要となるシチュエーションはほぼ存在しないように思われる。首相は、たとえいかなることがあっても自衛隊は湾岸戦争やイラク戦争のような戦争には参加しないと言って胸を張っていたが、元々湾岸戦争やイラク戦争は多国籍軍を組織した戦争であり、アメリカ個の戦争ではない。集団的自衛権の出番となる戦争はアフガン戦争なのだ。首相がここに触れなかったのは、当然意図的で、湾岸・イラク戦争不参加を声高に叫んだのは限りなく狡猾な説法であった。幹事長が漏らしたように、地球の反対側で戦争する可能性は、決してゼロではないのである。と言うより、世界の隅々にまで日本の軍隊を派遣できるようにすることこそが、実は本当の目的ではないのか、との説もある。それと武器の輸出(既に安倍政権は今までの枷を撤廃した)のセットが、国連安保常任理事国入りの隠れた条件であると。もしそれが本当ならば、政府は堂々と我々国民に問うべきである、今まで通りの戦争しない国か常任理事国かと。  日本国憲法は、11章103条で構成されている。ちなみに第1章は「天皇」で1~8条まである。だが、第2章は、9条ひとつである。9条の条文は、確かにわかりにくい面があり、そこが解釈の幅を拡げる原因ともなっている。だが、第2章のタイトルは、シンプルこの上ない。「戦争の放棄」たった5文字だ。誰でも覚えられる。戦争を個人の喧嘩に置き換えて考えれば、解りやすい。暴漢から自分の身を守る行為を、人は喧嘩とは呼ばない。だが、友人が喧嘩している時、そこに入ってゆき暴力を振るえば、それは喧嘩に加わったことになる。集団的自衛権が第2章「戦争の放棄」に反していることは明白なのだ。それでも、もしかすると将来どうしても集団的自衛権が必要となる悲しい時代が訪れるかもしれない。その時は国民投票で憲法を改正する、それが政府の義務であり、国民の権利なのだ。

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2014年4月29日 (火)

玉ちゃんの独り言 第30回「限定的集団的自衛権案にもの申す」

           玉ちゃんの独り言 第30回「限定的集団的自衛権案にもの申す」
 

 またこの話題かと飽きられているかもしれないが、最重要問題なので、しつこくても勘弁して頂きたい。戦後GHQの命によりやむおえなく警察予備隊が出来て以来、自衛隊にとっても、我々国民にとっても、最大の変革が国会承認さえ経ないで行われようとしている。与党公明党はもちろん自民党の中にも反対の声があるため、こんな大事を閣議決定だけで済ませようとしているのは、姑息と言う他ない。国民世論でも反対の方が多いため、民主主義の基本原則である多数決を無視して、わずか十数名の総理大臣が選んだ人間だけで決めてしまおうというわけだ。集団的自衛権の内容に関して、対象となる友好国はアメリカだけではないと、本音を漏らしてしまい批判された首相が、起死回生の策として考え出されたのが、今回の限定案である。首相ブレーンか役人か、誰の発想かは知らないが、反対派の小生も感心してしまう程いいアイデアである。この案の素晴らしい所は、色々な高いハードルを同時に下げられる点である。まず第一に、公明党に対して。立党以来平和の党を標榜してきた公明党にとって、集団的自衛権は決して飲めない劇薬のはずであった。おそらく執行部も連立離脱さえ視野に入れながらの折衝となる予定だったであろう。この限定案で公明党が妥協するのかどうかはわからないが、公明党の中の右派勢力にとっては、大歓迎であるに違いない。もし池田大作氏の目が黒かったなら、迷わず連立離脱を指示したに違いない。好きな人物ではないが、今は日本の将来のため、元気でいて欲しい気がする。第二のハードルとは、国民世論とマスコミに対してである。限定案では、日本から遠く離れた諸外国の領土上の戦闘には加わらないこととなっている。これを言葉通りに解釈すれば、湾岸戦争やイラク戦争、アフガニスタン攻撃には参加はできないということになる。だが、推進派の本音がそこに無いことは、石破幹事長の発言でも窺える。つまり今回の目的は、とりあえず国民や反対派識者の不安感を解消することに尽きるのである。最後のハードルは、そしてこれが最も重要なのだが、本来憲法改正でしか行えないはずのこの事案を、解釈変更だけで突破しようという憲政史上の暴挙に対してのイメージ戦略である。「そんなに大きな変更でもないのなら、まあいいっか」という気分にさせるテクニックである。だがひとたびこれを許してしまえば、その時々の政権によって、自衛権の問題はもちろん、全ての憲法上の制約を次々と変更することも可能になってしまうのだ。仮に一度目は限定であっても二度目は無制限かもしれない。解釈変更を閣議決定で行うことの危険性は計り知れないものがある。憲法学者でなくても、集団的自衛権行使が憲法違反なのは誰の目にも明らかだ。そしてそもそも憲法とは、時の権力が暴走するのを防ぐため、国民が持つ自衛のための唯一の武器なのである。従って憲法が、暴走を図る政権にとっての足枷となるのは当然のことなのだ。その足枷を外すことに協力するのは、国民主権の自殺行為に当たる。憲法改正そのものは、決して悪いことではない。時代にそぐわなくなった部分を改めるのに大反対する人は、そんなに多くはないだろう。小生とて、憲法改正そのものに反対しているわけではない。問題なのは、憲法の精神に逆らってまで、政権が自身の主張を押し通そうとしていることにある。これはまさに立憲主義への反逆と呼ぶべき暴挙と言わざるをえまい。日本の憲法が国際的に高く評価されているのは、憲法9条の存在故に他ならない。第二次大戦の反省を踏まえて作られた現憲法は、世界に類を見ない平和憲法であり、同時に日本の復興と国際的地位の向上に多大なる貢献をしてきた。現在アジアの国々に日本が信用されているのは、この憲法あればこそである。小生とて、憲法9条に、自衛隊の存在を明記することに異論はない。今の自衛隊は、平和憲法の精神に反することのない存在であるからだ。だが、首相が名称変更を望んだ「国防軍」はその名称もその目的も、憲法違反に当たるのは間違いない。今はとりあえず羊の皮を被って見せて、一回でも解釈変更に成功した途端、それは徐々に獰猛な狼へと変貌していく恐れが今度の限定案には見え隠れしているのだ。集団的自衛権を推し進めようとしている人々にとって、その必要性を訴える有効な論点と言えば、PKOの問題かもしれない。日本の自衛隊がPKOに参加した際、一緒に行動している外国軍隊が攻撃された時、一緒になって反撃参加が出来ないことが、日本のPKO活動の範囲を狭めている点である。確かにこれには、違和感や一種の矛盾を感じたりするのも仕方ないが、そもそも戦争を否定する平和憲法を持つ国が戦場へ赴くことこそが間違いの元なのである。PKFが憲法違反で無理とされた当時の自民党政権が、無理にでも自衛隊海外派遣の実績を作る為の大義名分としてPKOを利用したに過ぎないと言えば、言い過ぎであろうか。だが、もしそこにどうしても答が必要と言うのなら、公明党幹部が述べている個別的自衛権の解釈変更で可能との案の方が検討に値するだろう。好戦的右派の方々が、いつも揶揄している「一国平和主義」に世界で異論を唱えている国、日本の軍隊が強大になることを望む国は、果たしてどれだけあるのか? もちろん、それによって軍事費と米国兵の死者数が減らせるアメリカは歓迎することであろう。だが、そのアメリカでさえ一枚岩ではない。現在のアメリカでは、その軍事的在り方に疑問を呈する人々も少なからず存在するのだ。そして普天間基地グアム移転を阻んでいるのは、アメリカ政府ではなく、実は永田町と霞が関であることも次第に明らかになって来つつある。日本が集団的自衛権行使に踏み切れば、確かにアメリカは喜ぶかもしれない。そして次々とステップアップを要求することであろう。この流れは、郵政民営化でもTPOでも証明されている。アメリカが自国の国益のために都合のいい要求を日本に押し付けるのは毎度のことだから。そうなれば外圧を理由に、推進派は自衛権行使の範囲をどんどん拡大していくことは目に見えている。今、いくら範囲を最小限にまで狭めても、そんなことには何の意味もないのだ。昔も今も権力とは、時に国民を騙すものである。その唯一の盾となる憲法を解釈変更で変えてしまうのは、戦争以上に危険で恐ろしいことなのだ。

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